携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 マヤ文字で名前を書いてみた

マヤ文字で名前を書こう  のページにて 
http://www.isop.co.jp/main/maya/mayaindex.htm
<漢字で書くと>
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マヤ文字で遊ぼう  のページにて
http://www5f.biglobe.ne.jp/~SE3Q2/travel/mexico/maya.html
<アルファベットで書くと>
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# by dragon-beya | 2013-12-08 09:36 | 漢字・語源・故事

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 邪馬台国は会稽東冶の東に在るべし

魏志倭人伝の謎を解く( 三国志から見る邪馬台国 )大東文化大学渡邉嘉浩教授によれば、
西晋(265~316)の歴史家、陳寿が著した「魏志倭人伝」には、当時の政治情勢を反映した「偏向」があるという。それは曹魏(220~265)の正統性を示正統性を示し、蜀漢の劉備も、孫呉の孫権も列伝に記し、曹魏の臣下として表現している。しかしいずれも皇帝に即位しているので歴史的事実とは異なる。つまり本質的に偏向が含まれている。

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倭国が中華の天子の徳を慕って朝貢する夷狄、東夷であり、ライバル孫呉の背後「当に会稽東冶の東に在るべし」を脅かす存在であるべきことである。即ち、女王の居る邪馬台国は会稽郡東冶の東、帯方郡から一万二千余里の彼方にある東南の大国と位置付けられる。「倭国は中国の東南にある」とは陳寿のかくあらねばならぬと云う「理念」そのものなのだ。
よって、魏志倭人伝にいう倭国/邪馬台国は、日本列島ではなく南の海上に位置せざるをえない。
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一方で、「会稽郡東冶の東」に陸地を記載した地図もある。
『混一彊理歴代国都之図』は、明の建文四年(1402)に、朝鮮で作成された日本についての地図(京都・龍谷 大学蔵、以下、龍谷図)である。この地図には、日本列島が南北に長く描かれている。
これが、古代から15世紀に至るまでの、中国人の日本についての認識であったとし、魏志倭人伝も、この誤った方向認識で記述されたとして、倭人伝の方角の記述を「南」を「東」に修正するべきとの論がある。 e0162832_9214696.png
 しかし、弘中芳男氏の研究によって、この地図が、日本列島を南に転倒して描いているのは、15世紀の初頭に、 李氏朝鮮の廷臣である権近が、西を上方にして描かれた日本の「行基図」を、不用意に挿入してしまったためであることが明らかになった。すなわち、同じ元資料から作られたと思われる『混一彊理歴代国都地図』(島原市本光寺蔵、以下、本光寺図)の存在が明らかになり、本光寺図では、日本は正しく東西に画かれていたことから、周囲の島嶼の配置などの分析により、本光寺図こそ、当時の地理観を正しく反映したものであり、龍谷図は、スペースの都合などによって、日本を南北に画いたものであると判断された。
 『混一彊理歴代国都之図』(龍谷図)には、たとえば大 和や常陸などの旧国名ばかりでなく、陸奥には「夷地」さえ記入されている。三世紀に、わが国の国内の各国名を記した地図などがあるはずはない。
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# by dragon-beya | 2013-09-16 09:52 | 歴史

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 邪馬台国は会稽東冶の東に在るべし

魏志倭人伝の謎を解く( 三国志から見る邪馬台国 )大東文化大学渡邉嘉浩教授によれば、
西晋(265~316)の歴史家、陳寿が著した「魏志倭人伝」には、当時の政治情勢を反映した「偏向」があるという。それは曹魏(220~265)の正統性を示正統性を示し、蜀漢の劉備も、孫呉の孫権も列伝に記し、曹魏の臣下として表現している。しかしいずれも皇帝に即位しているので歴史的事実とは異なる。つまり本質的に偏向が含まれている。

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倭国が中華の天子の徳を慕って朝貢する夷狄、東夷であり、ライバル孫呉の背後「当に会稽東冶の東に在るべし」を脅かす存在であるべきことである。即ち、女王の居る邪馬台国は会稽郡東冶の東、帯方郡から一万二千余里の彼方にある東南の大国と位置付けられる。「倭国は中国の東南にある」とは陳寿のかくあらねばならぬと云う「理念」そのものなのだ。
よって、魏志倭人伝にいう倭国/邪馬台国は、日本列島ではなく南の海上に位置せざるをえない。
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一方で、「会稽郡東冶の東」に陸地を記載した地図もある。 e0162832_9214696.png
『混一彊理歴代国都之図』は、明の建文四年(1402)に、朝鮮で作成された日本についての地図(京都・龍谷 大学蔵、以下、龍谷図)である。この地図には、日本列島が南北に長く描かれている。
これが、古代から15世紀に至るまでの、中国人の日本についての認識であったとし、魏志倭人伝も、この誤った方向認識で記述されたとして、倭人伝の方角の記述を「南」を「東」に修正するべきとの論がある。
 しかし、弘中芳男氏の研究によって、この地図が、日本列島を南に転倒して描いているのは、15世紀の初頭に、 李氏朝鮮の廷臣である権近が、西を上方にして描かれた日本の「行基図」を、不用意に挿入してしまったためであることが明らかになった。すなわち、同じ元資料から作られたと思われる『混一彊理歴代国都地図』(島原市本光寺蔵、以下、本光寺図)の存在が明らかになり、本光寺図では、日本は正しく東西に画かれていたことから、周囲の島嶼の配置などの分析により、本光寺図こそ、当時の地理観を正しく反映したものであり、龍谷図は、スペースの都合などによって、日本を南北に画いたものであると判断された。
 『混一彊理歴代国都之図』(龍谷図)には、たとえば大 和や常陸などの旧国名ばかりでなく、陸奥には「夷地」さえ記入されている。三世紀に、わが国の国内の各国名を記した地図などがあるはずはない。
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# by dragon-beya | 2013-09-16 09:44 | 歴史

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 なぜ渋滞時は走行車線のほうが速いのか

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高速道路には走行車線と追い越し車線がある。統計によれば、空いている時間帯にはそれぞれ平均時速80キロ、100キロほどで流れている。ところが速度が30キロ以下の「渋滞」になると逆転し、時速数キロほどだが、走行車線のほうが速くなることがわかっている。なぜこのような逆転現象が起こるのだろうか。

車の数が増えて車間距離が短くなると、速度を維持しようと車線を変更して、追い越し車線に移る車が増える。渋滞になるとその割合は5割を超し、追い越し車線を走る車のほうが多くなってしまう。このため追い越し車線のほうが走行車線より混雑し、速度が低下してしまう。

交通がスムーズに流れている状態から渋滞へ移行する臨界密度は、2車線の場合、統計的には1キロメートルあたり50台。平均時速72キロ、車間距離にして40メートル、約2秒ごとに車が行き交うような状態だ。外からはスムーズに流れているように見えるはずだが、このとき多くのドライバーは「そろそろ危ない」「今のうちに急ごう」と考え、速度を上げて、車間距離を詰めてしまう。

車間距離に余裕がなくなると、前後の車はアクセルやブレーキを頻繁に踏み換えることになる。その結果、本格的な渋滞が発生し、自分たちの車も渋滞に巻き込まれてしまうのだ。

「暮らし何でも辞典」より全文引用
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# by dragon-beya | 2012-12-30 00:14 | 科学

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 「剣」@記紀神話(Wikipedeaより)

==================
[十束剣] (十握剣、十拳剣、十掬剣など)
==================
 日本神話の様々な場面で登場していることや、「10束(束は長さの単位で、拳1つ分の幅)の長さの剣」という意味の名前であることから、一つの剣の固有の名称ではなく、長剣の一般名詞と考えられ、それぞれ別の剣であるとされる。

(1)「天之尾羽張」または「伊都之尾羽張(いつのおはばり)」
古事記神産みの段にて、伊邪那岐命が迦具土神を斬ったときに使った十拳剣の名前として登場する。その別名が天尾羽張であると記す。天尾羽張についた迦具土神の血から、建御雷之男神などの火・雷・刀に関する神が化生している。伊都之尾羽張は建御雷之男神の父神の名

(2)天照大神と須佐之男命の誓約の場面では、須佐之男命の十拳剣から天照大神が宗像三女神を産んでいる。

(3)「天羽々斬(あめのはばきり)」
八岐大蛇退治の時に須佐之男命が使った十拳剣。羽々とは大蛇の意味で、八岐大蛇の尾の中にあった「天叢雲剣」に当たって刃が欠けたとしている。この剣は石上布都魂神社に祭られ崇神天皇の代に石上神宮に納められたとされる

→「天叢雲剣」は三種の神器の一つ。熱田神宮の神体。
 詳細はMore「天叢雲剣」=三種の神器の剣にて

(4)山幸彦と海幸彦の説話では、山幸彦が海幸彦の釣り針を無くしてしまったため、自分の十拳剣を鋳潰して大量の針を作っている。

(5)「大量剣(おおはかり)」または「神度剣(かむどのつるぎ)」
葦原中国平定説話において、天若日子命の葬儀に訪れた味耜高彦根神が、天若日子命と間違われ、怒って十掬剣で喪屋を切り倒している。

(6)「佐士布都神」(さじふつのかみ)、「甕布都神」(みかふつのかみ)または「布都御魂」(ふつのみたま)
葦原中国平定説話において、建御雷之男神らが大国主の前で十掬剣を海の上に逆さまに刺し、その切先にあぐらをかいて威嚇している。この剣は後に神武東征の場面において神武天皇の手に渡る。

「天叢雲剣」=三種の神器の剣
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# by dragon-beya | 2012-02-19 16:35 | 神社・神様・神話

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 日本書紀は何時、誰が書いたか

「日本書紀の謎を解く~述作者は誰か」森 博達著(中公新書)によると
日本書紀を、音韻・文章・編修の観点から分類研究した結果、

1)中国人が正格漢文で術作した「α群」と、倭人が和化漢文で術作した「β群」に大別される。
<α群>
2)天武天皇が壬申の乱で絶大な権力を掌握し、専制的中央集権国家を作るために、
  律令と国史の編纂に着手した。
3)天武(686没)の事業を引き継いだ持統3年(689)に「浄御原令」が完成し、その編纂に
  功績のあった音博士の唐人、続守言と薩弘恪が書紀の撰述にあたった。
4)古代最大の画期は「雄略朝」と「大化の改新」である。続守言が巻14雄略紀からの述作を、
  薩弘恪が巻24の皇極紀からを担当した。これらがα群である。しかし続が巻21崇峻紀の
  完成間際に死去、薩も巻27天智紀終了後700年に卒去した。
<β群>
5)この頃(文武朝)、神代から安康までの撰述の必要が生じた。続・薩を失った朝廷は困惑
  したが、文章学者の山田史御方を選んだ。これが倭習に満ちたβ群となる。
<巻30と全体の潤色・加筆>
6)702年に持統が崩御して、巻30持統紀の撰述が計画された。714年(元明朝)国史撰述
  者に選ばれたのは紀朝臣清人と三宅臣藤麻呂。清人が巻30持統紀を倭習の少ない漢文
  で述作した。藤麻呂は各巻に漢籍で潤色を加えて荘重にし、若干の記事を追加した。これ
  には倭習が目立つ。
7)このようにして720年(元正朝)、日本書紀30巻が完成し撰上された。
<憲法十七条>
8)憲法とβ群の倭習には共通性がある。β群の術作年代に作られたと思われる。恐らく書紀
  の編纂が開始された天武朝(673~)以降であろう。編纂者による偽作と考える。
  (持統朝に協力した藤原不比等の影がちらつく。聖徳太子非実在説ともつながる)

実際の巻ごとの分類表
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# by dragon-beya | 2011-11-19 12:09 | 歴史

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 神の語源

クマ(隈):奥まったところ
クム(隠(くむ、こもる)):隠れた状態

火水:陰陽五行的

迦微:可畏(かしこ)き物を迦微というなり・・本居宣長
    (人を畏れおののかせる)
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# by dragon-beya | 2011-10-05 07:42 | 神社・神様・神話

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 神社数ランキング-その2-

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3973.html
によると、県ごとの神社の数は
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# by dragon-beya | 2011-09-20 23:36 | 神社・神様・神話

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 十界、六道、八大地獄

十界(じっかい)とは、天台宗の教義において、人間の心の全ての境地を十種に分類したもので、六道に声聞・縁覚・菩薩・仏の四を付加したものである。十界論、十方界あるいは十法界とも言われる。
・六道=天界・人界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界
・四聖(ししょう)=仏界・菩薩界・縁覚界・声聞界に分類され、これらの総称が十界である。
・四聖を悟界というのに対し、六道を迷界ともいう。
・六道のうち、地獄から畜生までを三悪趣(三悪道、あるいは三悪、三途)と呼称し、これに対し修羅から天上までを三善趣(三善道)と呼称する場合がある。(地獄から修羅までを四悪趣と称することもある。)

<六道>
六道(りくどう、ろくどう)とは、仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界のこと。六道の各々に配当された六地蔵が各所に祀られ、大いに庶民から信仰された。
仏教では、輪廻を空間的事象、あるいは死後に趣(おもむ)く世界ではなく、心の状態として捉える。たとえば、天道界に趣けば、心の状態が天道のような状態にあり、地獄界に趣けば、心の状態が地獄のような状態である、と解釈される。なお一部には、天狗など、この輪廻の道から外れたものを俗に外道(魔縁)という場合もある

1)天道(天上道、天界道):天人が住まう世界である。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。しかしながら煩悩から解き放たれていない。天人が死を迎えるときは5つの変化が現れる。これを五衰(天人五衰)と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎む。

2)人間道:人間が住む世界である。平常心である状態。だが、人間的な疑心暗鬼を指すともされる。四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。また、仏になりうるという救いもある。

3)修羅道:修羅道は阿修羅の住まう世界である。修羅は会話を持たず「武力」をもって終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。

4)畜生道: 牛馬など畜生の世界である。ほとんど本能ばかりで生きており、使役されなされるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。

5)餓鬼道:眼前の事象に固執する餓鬼の世界である。餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例がある。旧暦7月15日の施餓鬼はこの餓鬼を救うために行われる。

6)地獄道:罪を償わせるためのあらゆる恐怖に苛まれた世界である。地獄には八大地獄がある。

四聖、八大地獄
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# by dragon-beya | 2011-09-12 22:45 | 仏教

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 仏さまの世界

仏陀(बुद्ध buddha)
仏ともいい、悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す。基本的には仏教を開いた釈迦(仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ)ただ一人を仏陀とする。仏陀の10種の称号を十号(如来十号)と言う。「如来」もその一つ。

1)如来:真実のままに現れて真実を人々に示す者、真実の世界に至り、また真実の世界から来られし者を如去如来(如来と略称)という。仏の中で、最高の境地に至った存在、最高位にある。

2)菩薩:梵語で「悟りを求める者」いう意味。次期如来候補。

3)明王:バラモン・ヒンドゥー教の神々で、如来、菩薩に次ぐ仏格。明王とは、「仏の知恵(真言)を身につけた偉大な人」という意味である。一般に、密教における最高神大日如来の命を受け、仏教に未だ帰依しない民衆を帰依させようとする役割を担った仏尊を指す。

4)天部:天空や天上界に住むう者の意味する言葉。如来、菩薩、明王は、人々、生き物の救済を目的とするが、天部の諸天は、仏法を守護する役目を持っている。古代インドの神々が土台となって生まれた。明王と同じく多種多様。

5)その他:上記の四種類に属さないもの。

6)羅漢:釈尊に従った500人の仏弟子。

夫々の仏さま
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# by dragon-beya | 2011-09-12 22:00 | 仏教

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 藤原鎌足は百済王子の豊璋? 関裕二説

<通説>
扶余豊璋の渡来時期は『日本書紀』によれば舒明天皇3年(631年)。豊璋は日本と百済の同盟を担保する人質であった。
660年、唐・新羅の連合軍百済を滅ぼしたという知らせが届いた。倭国の実権を掌握していた中大兄王(後の天智天皇)は倭国の総力を挙げて百済復興を支援することを決定、662年5月、倭国は豊璋に安曇比羅夫が率いる兵5000と軍船170艘を添えて百済へと遣わした。豊璋と倭軍は、百済を復興すべく反乱を起こした鬼室福信と合流し、豊璋は百済王に推戴されたが、次第に実権を握る鬼室福信との確執が生まれた。663年6月、豊璋はついに鬼室福信を殺害した。この暴挙により百済復興軍は著しく弱体化し、唐・新羅軍の侵攻を招くことになった。
豊璋は周留城に籠城して倭国の援軍を待ったが、663年8月、倭国水軍と白村江(韓国では「白江」、「白馬江」ともいう)で衝突した。その結果、倭国・百済連合軍が大敗した。いわゆる白村江の戦いである。豊璋は唐の都に連行され、地方に流刑にされたとも伝わる。 (以上ウィキペディアより)

<鎌足説:関裕二「古代史の秘密を握る人たち」より>
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=193608引用
 中臣鎌足の謎は、歴史に唐突に現われ、しかも、白村江の大戦のさなか、中大兄皇子の前から忽然と姿をくらましたことだ。
1)白村江の戦いは、百済復興しようと唐と新羅の連合軍と戦火を交えた、いわば中大兄皇子の一大事。天皇家と百済は密接につながっており、民衆の反発を強行しての無謀な遠征でもあった。その一大事に乙巳の変以来の右腕である中臣鎌足が姿をくらまし、敗戦後、ひょっこり再登場する。いったい、この男はどこで何をしていたのか?
2)「日本書記」をひも解けば、中臣鎌足出現の直前、百済皇子・豊璋は631年に人質として来日、660年に百済がいったん滅亡したのち、王朝復興の気運の高まりの中で、百済から呼び戻され擁立される。そして、白村江の戦いで百済王朝は滅亡、豊璋も行方をくらましてしまう。豊璋が百済に舞い戻っていたちょうどそのとき、中臣鎌足が「透明人間」になったのははたして偶然なのだろうか?
3)冠位「織冠」を与えられたのが鎌足と豊璋のふたりだけだった、という「日本書記」の証言も気になる。
4)また、壬申の乱で百済派(中大兄皇子=天智天皇の息子である大友皇子)が敗北し、新羅派(天武天皇)が王権をとってから、藤原不比等が完全に干されている事実も見逃せない。
中臣鎌足が百済皇子・豊璋であった疑いは強くなるばかりだ。

白村江大敗後の百済王族を優遇
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# by dragon-beya | 2011-08-06 17:53 | 歴史

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 園韓神

園韓神社(そのからかみのやしろ)は、園神社(そのじんじゃ、そのかみのやしろ)及び韓神社(からじんじゃ、からかみのやしろ)の総称。平安遷都以前からその地にあったとされる神社で、養老年間(717年 - 724年)に藤原氏によって創建されたものとされる。
『延喜式神名帳』では「宮中」の「宮内省坐神三座」として「園神社」「韓神社二座」の記載があり、宮中ではこの2社のみが名神大社に列している。


祭神については諸説ある。
1)古事記伝:古事記に記載の大年神の御子神の「曾富理神」(そほりのかみ)が園神・韓神二座のいずれか一座であるという説が唱えられている。
2)古事記:大年神の御子神に「韓神」がある。
3)大倭神社註進状:園神を大物主神、韓神二座を大己貴命・少彦名命としている。

2月の春日祭の後の丑の日と11月の新嘗祭の前の丑の日が当社の例祭日とされ、園韓神祭(そのからかみのまつり)と呼ばれた。平安時代以降、朝廷の衰微とともに、園韓神祭は次第に行われないようになった。
            (ウィキペディアより)
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# by dragon-beya | 2011-08-06 16:48 | 神社・神様・神話

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 平安京の結界

西陣に住んでます
平安京
夏至のレイラインに秘めた結界を追う
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玄武(北)に船岡山、青龍(東)に鴨川、朱雀(南)に巨椋池(おぐらいけ)、白虎(西)に山陽道。
風水に基づいた完璧な場所が京都だったというわけです。
さらに念を入れ、京都の周囲にあった4つの巨石を掘り起こし、悪霊退散の経をその下に埋め込んで京都全体を結界とし、さらに北に「大将軍神社」(京都市上京区西賀茂角社町)、東に「大将軍神社」(京都市東山区東山長光町)、南に「大将軍社(藤森神社)」(京都市伏見区深草鳥居崎町)、西に「大将軍八神社」(京都市上京区一条通御前西入ル)と素戔嗚尊を祀った神社を配置して結界を強めました。
鬼門とされる北東には「狸谷不動尊」(京都市左京区一乗谷狸谷 ) 「上賀茂神社(賀茂別雷神社)」(京都市北区上賀茂本山) 「下賀茂神社(賀茂御祖神社)」(京都市左京区下鴨泉川町) 「上御霊神社」(京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊堅町) 「比叡山延暦寺」(滋賀県大津市坂本本町)を建立。
清水寺は平安遷都以前よりあった寺院で、本願主は坂上田村麻呂だとされています。現在では街の中心部になっていますが、清水以西の鳥辺野は風葬の地になっていて、飢饉や疫病が流行したころには遺体を風化させる場所だったといわれています。今の音羽の滝あたりに延鎮上人がそれらの魂を鎮めるために庵を結んだのが始まりですが、坂上田村麻呂が水を求め立ち寄った際に上人に帰依して、長岡京の旧寝殿を現在の場所に移築したのが清水寺の前身だとされています。
http://atmo.posterous.com/38403837より
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# by dragon-beya | 2011-06-19 11:53 | 歴史

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 天海僧正と江戸の結界

怨霊記 魔洞界・千秋寺亰介(別名:飛鳥昭雄)で、陰陽道との関係を詳細克明に記述されている

関連
LAY-LINE HUNTING <地に刻まれた聖なる道を発掘する>
風水都市計画
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# by dragon-beya | 2011-06-19 11:23 | 歴史

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 秦氏

黒須紀一郎の「役小角」や千秋寺京介の「怨霊記」などに、秦氏、蘇民などが登場する。
千秋寺さんの本に出てくる「日ユ同祖論?」のようなページを見つけた。特に秦氏に関する項はとても興味深い。
「蘇民~古代ユダヤが蘇る~」
「秦氏の末裔 渡来人秦氏 広隆寺」
「日ユ同祖論:WIKIPEDIA」
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# by dragon-beya | 2011-05-30 00:25 | 歴史

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 姓氏と家紋のページ

姓氏と家紋に関するページ。
神社についても載せてある。
必見。

「姓氏と家紋」
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# by dragon-beya | 2011-05-30 00:06 | 歴史

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 鳥居について

鳥居(とりい)とは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示す一種の「門」を指します。神域の玄関で神社のシンボルでデザインや材質も個性豊かで、神明系と明神系に大別されます。
・神明系はシンプルに木を組み合わせたものが多いようです。
・神仏習合の影響を受けて以降に見られる明神系は曲線的で装飾が多く、笠木(一番上の横木)が反っているものが多い。
また二本目の横柱(貫)が柱から飛び出しているかどうか、笠木と貫の間に額束があるかないかなどで、見かけが違ってきます。
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http://www.sports-joho.com/power/torii.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kicyomu_0401/archive/2011/2/21

鳥居の種類
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# by dragon-beya | 2011-02-27 09:39 | 神社・神様・神話

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 神社の建築様式

複雑なのでまとめてみた。

図を見る
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# by dragon-beya | 2011-02-27 08:49 | 神社・神様・神話

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 噴火警戒レベル

(以下、気象庁のHPより)
 気象庁は平成19年12月1日より、噴火警戒レベルを導入しました。噴火警戒レベルとは、火山活動の状況を噴火時等の危険範囲や必要な防災対応を踏まえて5段階に区分したものです。 住民や登山者・入山者等に必要な防災対応が分かりやすいように、各区分にそれぞれ「避難」「避難準備」「入山規制」「火口周辺規制」「平常」 のキーワードをつけて警戒を呼びかけます。噴火警戒レベルは噴火警報及び噴火予報で発表します。
 現在、26火山において、噴火警戒レベルを提供していますが、防災対策を必要とする火山について、地元と調整を進め、所要の準備が整った火山について順次導入していきます。なお、噴火警戒レベル導入に伴い、火山活動度レベルは廃止しました。
            レベル5=「避難」
  噴火警報    レベル4=「避難準備」
            レベル3=「入山規制」
  火口周辺警報 レベル2=「火口周辺規制」
  噴火予報    レベル1=「平常」       
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# by dragon-beya | 2011-02-07 00:05 | 科学

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 PLC 【Power Line Communications】(電力線通信)

 電力線を通信回線として利用する技術。
電気のコンセントに通信用のアダプタ(PLCモデム)を設置してパソコンなどをつなぐことにより、数Mbps~数百Mbpsのデータ通信が可能となる。
 ほとんどの建物には電気配線が張り巡らされているため、PLCを使うことにより新たにケーブルなどを敷設することなく手軽に構内通信網を構築できる。また、電力会社の配電網をPLCに利用すれば電力網をそのまま通信インフラとして利用することができ、インターネット接続サービスなどが提供できる。
 電力線はもともと高い周波数の電気信号を流すことを想定していないため、PLCによる漏洩電波がアマチュア無線などに深刻な影響を与えるとの指摘もあり、なかなか実用化されなかったが、総務省が規制を緩和したのを受けて2006年12月に初めてPLC対応製品が発売された。

http://e-words.jp/w/PLC.html より
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# by dragon-beya | 2011-02-06 23:58 | パソコン